人間関係について思う事があります。
以前働いていた職場では、一緒に働く同僚の中に
めちゃくちゃコミュ力が高くて友達も多そう、誰とでも分け隔てなく会話ができる人がいました。
いわゆるクラスの中の人気者タイプの人です。
彼女は仕事もできるしコミュニケーション能力も高い。
一方で私はというと、コミュ障な上に仕事の要領も悪い…
いつも先輩や上司に怒られてばかりいました。
そんな私は、コミュ力の高い同僚のような人間に、かつて憧れていました。
そんな人間になろうとしていました。
でも、今は自分を無理矢理変えようとすることはしていません。
無理なことはしないと決めた
中学に入った頃から、私は周りの人よりもコミュニケーションを取るのが苦手だということに気づきました。
それからというもの、
- うまく会話ができないのは自分のせい
- コミュニケーションが取れないのは努力が足りないから
このように決めつけて、会話がうまくできるように努力を続けました。
それを20代の中頃まで続けたところで気づくのです。
「コミュ力を上げるのは私には無理だ」と。
約10年頑張ってできないものはこの先続けてもできるはずがない、だから諦めようと思ったのです。
そしてその後わかったことは
私は発達障害のASDであるということ。
交友関係が広くても羨ましくない
過去の私は、普通にコミュニケーションが取れる人間になろうと努力していました。
職場の人や友達と会話が続いたら優越感に浸る。
逆に雑談が必要なシチュエーションで、話すことが思い浮かばずに黙り込んでしまうと
「私ってダメだ…」と、自分を責めまくっていました。
その頃の私にとって、交友関係の広さは自分自身のステータスを上げるうえで重要でした。
でも、ここ最近私の中で変化が起こりました。
そのコミュ力の高い同僚から
「休みの日に誰々とどこに行った」「友達と旅行に行った」
そういった話を聞いても全く羨ましいと思わなかったのです。
それどころか
「人とばかり行動を共にする人生なんて楽しいのか?」
とすら思うようになってきたのです。
広く浅い関係
その同僚の交友関係がどのようなものなのか、私にはいまいちよくわかりません。
なので私が感じたことは、あくまで私自身の勝手な想像でしかありません。
でも、彼女の交友関係が深い付き合いのようには思えなかったのです。
なぜそう思うのか、ただの直感です。
ですが、深い付き合いではない人との交流というのを感じ取って
「そんな休日の過ごし方って楽しいのかな」と感じてしまったのだと思うのです。
一人で過ごすことの快適さ

少し前までは
一人=寂しい
そんなふうに思う人が多かったと思います。
でもここ最近では、
人といるよりも一人でいることのほうが楽で快適
このように気づいた人が多くなってきたように感じます。
私もまさにその中の一人。
仕事中の休憩時間は絶対に一人で過ごしたいし、休みの日も一人でコーヒー片手に散歩するのが何よりの楽しみ。
深い話をできる友達でもいたら、そういった人とたまに会うのは楽しいかもしれません。
でも深い付き合いのできる人なんてそうそう現れない。
だったら無理をして交友関係を広めようとせず、自分ひとりの時間を楽しみたい
こう思うのです。


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